3月5日に公開され反響の大きかった石田三成CM<第一弾>の続編となる<第二弾・総集編>が「三成の日」(3月27日)に一般公開された。<第一弾>の反響の大小にかかわらず<第二弾>は制作される予定だったそうで、ネタは尽きず今回は6本立ての「グレイテストヒッツ」(滋賀県広報課)となっている。

1.民にやさしい武将 石田三成

佐和山城主時代、善政を敷いて民から慕われていたという三成。それゆえか、関ヶ原の戦いで最後の最後まで奮戦したのも石田隊であった。三成が六条河原で斬首の刑に処せられた後、民の手によって佐和山城周辺には地蔵がいくつも建てられている(石田地蔵)。

2.ホントはいいひと石田三成

神君家康公に楯突いたばかりに、「ずるい」「かたい」「つめたい」どころか、勝手に毒殺犯や主君の側室を寝取った不義不埒の臣に仕立て上げられてしまった三成。そんな家康を神と祭り上げる「東軍史観(メガネ)」を外せば、三成の「やさしい」「かしこい」「あったか~い」側面も当然見えてくるはずである。

3.ご相談ください石田三成

ここでは凶作の年に年貢を免除したエピソードが紹介されている。免除どころかある村には米を与えて飢饉を救ったという逸話も残っており、その恩を忘れなかった村民が関ヶ原の戦いで落ち延びてきた三成を命懸けで匿ったと言い伝えられている。

4.もちろん城主は石田三成

「治部少(三成)にすぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と謳われたほどの名城であった佐和山城。その名城も関ヶ原の戦いを経て廃城となってしまったが、今でも三成を偲んでこの地を訪れる人は少なくない。山頂からは彦根城と琵琶湖を一望することができ、まさにレイクビュー。

5.算術に強い武将 石田三成

近江(現在の滋賀県)という地は、三成や同じ五奉行の増田長盛や長束正家、そして数多くの近江商人など、算術に強い人材を世に数多く送り出してきた。たしかな国家戦略ビジョンもあわせ持っていた三成は、大戦の兵站奉行や太閤検地の中心人物として大きな役割を果たし、豊臣政権の舵取りを任されるまでにいたる。

6.実績に自信アリ石田三成

関ヶ原の戦いに際して三成は、佐和山に蟄居中の19万4000石の一大名でありながら壮大な計画を企て、256万石の大大名であった徳川家康率いる東軍を凌ぐ9万もの兵の大量動員に成功する。その10年前、28kmもの堤防を築いて忍城を水攻めにするが、これも結局は勝負には負けた形となる。ただし、この水攻めは秀吉の無理強いであったとも。

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