織田信長の死から始まった、東国の覇権争い。北条と徳川がついに激突する。その裏で、昌幸は誰も想像しない形での決着を狙っていた。

-第9回「駆引」冒頭-

天正10年(1582年)7月19日、北条氏直の大軍は上杉との決戦を避けて甲斐へ向かい、徳川家康を次第に甲府へと追い詰める。同年9月28日、昌幸は真田の力を伸ばすためにあえて劣勢だった徳川に帰属するが、翌月29日、徳川と北条は早々に和睦してしまう。

悩める主人公

徐々にキャラが立ち始めた主人公の信繁(堺雅人)。前回「調略」の父・昌幸(草刈正雄)と叔父・信尹(栗原英雄)の残酷なやり方を目の当たりにして、信繁は今までになく思い悩んでしまう。そこで出浦昌相(寺島進)は「お前は優しすぎる。もっと強くなれ」と声をかける。つまり「情に溺れず強くなれ」と。

それでも釈然としない様子の信繁は、きり(長澤まさみ)をうっちゃって梅(黒木華)のもとにまたふらりと。そこで梅は「大事なのは人の命をできるかぎり損なわないこと」と説く。その前の作兵衛(藤本隆宏)の強い為政者を求める言葉とともに、これは信繁の心を動かしたようだ。そして梅と初めての交わりを…

信濃の国衆が集まった軍議の場でも信繁は自身の作戦を披露し、ドラマではその作戦が功を奏して北条を窮地に陥れる。しかしながら第11回「祝言」では策に溺れすぎて思い悩むことになり、この「情」と「理」を行ったり来たりしつつどう成長していくのか……その辺が今後の見どころとなるのだろう。

徳川帰属の背景と信幸の活躍

第8回「調略」解説でも少し触れたように、信繁は引き続きこの時期も木曽義昌(石井愃一)の人質として生活を送っていた可能性が極めて高いようだが、兄の信幸(大泉洋)はこれとは対照的に初陣を果たして戦場で華々しく活躍したと伝わる。

天正10年(1582年)6月に滝川一益(段田安則)から沼田城と岩櫃城を返還された後、昌幸(草刈正雄)はそれぞれの城に叔父の矢沢頼綱(綾田俊樹)と嫡男の信幸を配して守備に当たらせていた。これは、味方にはなってもこの2つの城はそう簡単には譲らないぞという、北条に対する決意の表れのようにも思える。

実際に北条はこの沼田と岩櫃を喉から手が出るほど欲しており、徳川との勝敗が決した後は、織田帰属後のように再び没収となる可能性が高かった。そこで、昌幸はあえて負けそうであった徳川について恩を売れば、徳川が勝った暁には沼田と岩櫃は安堵されるはずと考え、9月28日に北条から徳川への鞍替えを決意したのだろう。

その辺の流れを昌幸の言動にもう少し織り込んでいればまた違ったのかもしれないが、今回の昌幸はあまりにも思いつきで動いているようにしか見えなかった。出浦昌相(寺島進)の同心も唐突にすぎて、信幸の反応が一般視聴者にもっとも近いものであったはずだ。常識人である信幸の眼を通して昌幸の奇抜さを浮かび上がらせるというのも狙いの一つなのだろうが……。

ともあれ、上野から碓氷峠を越えて信濃、甲斐へ遠征していた北条にとって沼田城から岩櫃城のラインはまさに生命線であり、北条が真田の裏切りを知った時に真っ先に狙われるのがこの沼田と岩櫃であった。ドラマで北条氏政(高嶋政伸)は「雑魚(真田)に関わっている暇はないわ」と言うが、実際には北条は岩櫃城攻略に乗り出している。

ドラマでは描かれていなかったが、この時、信幸は初陣を果たして手子丸城奪還などの戦果を上げる(『加沢記』)。ところが、まもなく北条と徳川は昌幸の意に反して早々に和睦することになり、岩櫃と沼田の運命は徳川家康(内野聖陽)の手に委ねられることになる。

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筆者

M山
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得意分野:日本文学
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