M:1833年から1839年、つまり23歳から29歳までピアノ曲ばかり書いていたかと思えば、1840年に入って急に歌曲に集中しだす。シューマンにはそういった気まぐれなところがあって。
S:たしかに性格もその音楽も気まぐれなところはあるけど、自分の歴史的な役割を十分に意識していた音楽家でもある。
M:結婚が大きいと思う。
S:「歌曲の年」の夏に、20歳にしてすでに大ピアニストの仲間入りをしていたクララと結婚。自分も大作曲として歴史に名を刻まなければならない。そのためには、偉大なベートーヴェンが残した交響曲と弦楽四重奏曲から逃れることはできない……と。
M:うん。ベートーヴェンの、特に交響曲にどう向き合うかがこの時代の音楽家たちの大きな課題だったみたいだから。そして翌年から、交響曲第1番変ロ長調「春」と第4番ニ短調、弦楽四重奏曲第1番イ短調、第2番ヘ長調、第3番イ長調が次々と書かれる。
S:たしかにクララの存在は大きい。ただ、『音楽と音楽家』や評伝を読んでいると、メンデルスゾーンの存在は更に大きい。メンデルスゾーンはシューマンにとって盟友でもあり、また先にベートーヴェンの衣鉢を継ぐ身近な大きな目標でもあった。あとシューベルトの存在も。
M:「ザ・グレート」交響曲の発見。
S:1839年の元旦にシューマンがシューベルトの兄の家を訪れた際に偶然これを発見する。シューベルトがこの世を去ってから10年後のこと。敬愛していた作曲家がこんな交響曲の大作を書いていたなんて!と身体に電流が走ったはず。
M:「未完成」交響曲が初演されるのも1865年のことだから、当時はシューベルトといえばピアノ曲と歌曲の作曲家だったのかも。
S:ピアノ曲というよりは室内楽曲。とにかくこれをドイツにいるメンデルスゾーンの元へ送り、わずか2ヶ月後にはメンデルスゾーンとゲヴァントハウス管で初演を成功させているんだから凄い連携力。
M:良い関係。
S:初演の時にはまだウィーンにいたシューマンは再演時にようやくこの曲を聴くことができ、クララとの結婚も経て、1841年の頭に自身の交響曲第1番を完成させる。これの初演がまたメンデルスゾーンとゲヴァントハウス管で。
M:一度でいいからこの時代のライプツィヒに行ってみたいわ。
「春」交響曲も含まれるコンヴィチュニーとゲヴァントハウス管の名演集
S:1841年に2つの交響曲と並行して『序曲、スケルツォと終曲』とピアノ協奏曲イ短調第1楽章の初稿、1842年に3つの弦楽四重奏曲と並行してピアノ五重奏曲変ホ長調とピアノ四重奏曲変ホ長調も書かれている。
M:1841年は管弦楽曲で1842年は室内楽曲と、また極端な。
S:この中で一番人気が高いのがおそらく、1845年に全楽章完成されるピアノ協奏曲。これをシューマンの最高傑作に挙げる人も多い。
M:前期ロマン派のピアノ協奏曲の最高峰だと思う。ピアノ五重奏曲とピアノ四重奏曲も前期ロマン派の室内楽曲を代表する名曲として負けてない。交響曲第4番もフルトヴェングラーとベルリン・フィルの名演が残っていることもあって根強い人気。
S:クレンペラーとフィルハーモニア管もフルトヴェングラーを意識してか、第4番だけやけに気合が入っている。この曲にはそういう19世紀生まれの巨匠たちを虜にする魅力がある。そして1841年原典版と1851年改訂版があって、これがまた全然違う。
M:現在一般的に演奏されるのは改訂版のほう。
S:原典版はいかにも第1番からの流れで作った軽みが垣間見えるけど、改訂版になるとその軽みが削ぎ落とされて、一気に重心が下がり内省的になる。
M:原典版のほうを評価する人も多い。改訂版は重苦しいといって。
S:悪くいえば、ぼんやりとして厚ぼったい。良くいえば、陰翳に富んでいて幽玄。
M:物は言いようで(笑)。
S:これはシューマンの後期作品の特徴でもあるから、ここをどう受け止めるかで全体像の捉え方も変わってくると思う。
M:ブラームスが初稿を支持して、クララは最終稿を支持したっていうのがまた面白い。
S:今手元に本がないから正確なところはわからなけど、クララはシューマンの最終意思を尊重したかったというだけじゃ。クララはどちらかというと前期の作風を好んだはず。
M:逆にブラームスは後期の作風にシンパシーを感じる人だと思っていた。
S:ブラームスという音楽家はモーツァルトやメンデルスゾーンの天衣無縫さに強い憧れを持っていた人だから、またそこはアンビバレントな感情があったのかと。
M:シューマンの前期作品は天衣無縫さというものとはまた違うと思うんだけど、たしかにブラームスにはない即興的な閃きがある。
S:即興的な閃きというか直裁的な感情表現というか。とにかくこれだけ大きな作品を次々と書いたにもかかわらずあまり売れなかったようで、収入の面でも社会的な地位の面でもクララに従属する形が続く。
M:最近巷を賑わせているいわゆる格差婚だ……。
S:そして精神疾患の症状が現れしばらく何も書けなくなる。これが1842年の後半から1843年にかけて、32から33歳の頃。
ピアノ協奏曲とクララの歌曲が含まれるグリモーのコンセプト・アルバム
M:クララとの結婚によって精神的に切羽詰まってきたのは確かだろうけど、経済的なゆとりが生まれたのもまた確かで。クララと結婚していなければこれだけ売れなさそうな(?)大作は書かれていなかったと思う。
S:同じ年に生まれたショパンと同じように、比較的売れやすい個人向けのピアノ曲ばかり書いて、その傍ら個人レッスンに明け暮れていた可能性も。
M:ショパンはたまに演奏会を開いてそこで稼ぐこともできたし。指を故障し人付き合いも苦手だったシューマンに個人レッスンすら務まったかどうか。
S:そう考えていくと、やはりクララの存在も大きい。
M:うん。そのクララとの二人三脚の作曲家生活はあと10年くらい続く。
筆者
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好きな言葉:中庸の徳たるや、其れ至れるかな
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