S:昨日はシューマンの命日。

M:ゴッホの命日でもある(2度目)。

S:生年が1810年で、没年が1856年。同じ1810年生まれにはショパンがいて、前年の1809年にはメンデルスゾーン、翌年の1811年にはリスト、その2年後の1813年にはワーグナーが生まれている。

M:皆それぞれ交流もあって、まさに百花繚乱といった感じ。

S:生まれはドイツのツヴィッカウ。父は出版業を営んでいて、若き日より文学に親しむ環境は整っていたのだろう。

M:ゲーテの『ファウスト』も凄い読み込んでいたとか。

S:『ファウスト』といえば当時の市民階級の男子なら誰もが読んでいるような国民的名著だけど、その読み込み方が尋常じゃなかったようで。これが後にシューマン畢生の大作とされる『ゲーテのファウストからの情景』に結実することになる。


『ファウストからの情景』を世に知らしめたアバドの名盤

M:1844年から1853年、つまり34歳から43歳の9年間にわたって作曲された。

S:実際は1844年と1847年から1850年の一時期に集中的に書かれたんだけど、シューマンの頭の中に常に「課題」としてあったことは確か。

M:1853年は昨日触れたように序曲だけ。「課題」と思うと辛い。気分が乗って集中的に一つのことに取り組むのがシューマンの特徴でもある。

S:時間を遡り1826年、16歳の時に姉が入水自殺し、その数週間後に父も死亡。大学は法科に進んだものの、法学は肌に合わず文学や音楽に熱中していた模様。

M:1833年、23歳の時には兄と慕っていた兄嫁が相次いで世を去っている。いったい何が……。

S:流行病だとか。法学に集中できなかった理由として、ツヴィッカウと比べてライプツィヒという地も合わなかったみたいだけど、音楽をするのにこれほど絶好の場所はない。

M:まず聖トーマス教会とゲヴァントハウス管がある。

S:トーマス教会はほんの数十年前までバッハがカントルとして長らく活動していた場所で、ゲヴァントハウス管は1835年にメンデルスゾーンをカペルマイスターに迎えて音楽史に残る活動をしていくことになる。『ファウストからの情景』もバッハの二大受難曲(『マタイ受難曲』『ヨハネ受難曲』)とメンデルスゾーンの二大オラトリオ(『エリヤ』『聖パウロ』)から受けた影響は多大であるはず。

M:ワーグナーもライプツィヒの生まれだし、何よりもヴィーク父娘がこのライプツィヒで暮らしていた。

S:大学もライプツィヒからハイデルベルクに移ったけど、結局法律家への道は諦め、ライプツィヒに戻ってヴィークの下でピアニストへの道を歩み出すことに。

M:ところが、すぐに右手の指を故障してピアニストへの道も諦めざるをえなくなる……。

S:作曲と評論で生きていく覚悟をするのが1832年、22歳の頃。この頃に手がけられた大規模な作品が、ツヴィッカウ交響曲ト短調ピアノソナタ第1番嬰ヘ短調

M:交響曲のほうは聴いたこともない。


ツヴィッカウ交響曲も含まれるガーディナーによる交響曲全集

S:第1・2楽章のみの未完で演奏どころか録音もあまりない。ピアノソナタのほうは今でも演奏される斬新なもの。評論のほうでも1832年に新聞に投稿した『作品二』のショパンへの「諸君、脱帽したまえ、天才だ」はあまりにも有名で、1834年からは自身で雑誌を作って評論活動を本格的に開始する。

M:その雑誌『新音楽時報』は200年近く経った今も続いているというんだから驚き。

S:日本でも、そこで書かれた論文の多くを収録した『音楽と音楽家』(吉田秀和翻訳)が岩波文庫から出ていて、長らく読み継がれてきた。いずれにせよ、この頃のシューマンは作曲家というよりは評論家として知られていた。


吉田秀和の名訳で蘇るシューマンの名文集

M:フランスのベルリオーズも?

S:ベルリオーズも時期によるけど、ベートーヴェンの時代までは音楽を評論するという行為自体見られなかったことで、音楽評論家のパイオニアとしてのほうが注目が集まりやすかったのだろう。一方で、作曲のほうは交響曲などの管弦楽曲はいったん諦め、ピアノ独奏曲に集中して取り組んでいく。

M:1833年から1839年の間に、『謝肉祭』『交響的練習曲』『幻想小曲集』『子供の情景』『クライスレリアーナ』、そしてピアノソナタ第2番ト短調ピアノソナタ第3番ヘ短調『幻想曲』ハ長調といった有名曲が次々と作られている。


デームスによるピアノ独奏曲全集の金字塔

S:1835年からヴィークの娘クララへの恋が始まり、1840年までヴィークによる酷い反対を受けてもいる。

M:反対というのを超えてもう妨害、中傷。その中傷で裁判沙汰までに……。

S:壁が高ければ高いほど恋心というものは燃え上がるもので、この時の感情がもっとも色濃く反映されているのがおそらく『クライスレリアーナ』。

M:『幻想曲』も。この2曲がシューマンのピアノ曲の最高峰とよくいわれる。

S:『クライスレリアーナ』と『幻想曲』はそれぞれショパンとリストに献呈されている。『幻想曲』はソナタ形式で書かれていて実質的にはピアノソナタ。どっちもとにかく煮えたぎっているから、変奏曲の形式をとる『交響的練習曲』のほうがよく聴く。

M:そこがいいのに。その煮えたぎっていた恋心はクララとの結婚直前に言葉を得て、『詩人の恋』『女の愛と生涯』といった歌曲集で開花することに。


F=ディースカウの名盤に並ぶヴンダーリヒの『詩人の恋』

S:1840年の春にナイチンゲールが歌い続けるように歌曲ばかり書いて、その求愛行動が実って夏にめでたくクララと結ばれる。シューマンの最高傑作というと、好楽家でも評論家でもこの『詩人の恋』や先の『幻想曲』『クライスレリアーナ』を挙げる人が多いけど、シューマンにとってはやはり不満なはず。

M:たしかに凄いインスピレーションを感じる曲ばかり。でも、なんといっても若い頃の作品で、作曲家に失礼といえば失礼。

S:そのせいか、日本ではシューマンといえばピアノ曲と歌曲の作曲家。

M:いや、一般人からしたら「トロイメライ」の作曲家。『子供の情景』の中のたった1曲の。不遇といわれているメンデルスゾーンでも「結婚行進曲」とヴァイオリン協奏曲の作曲家なのに。

S:とにかく、シューマンは交響曲といった大規模な管弦楽曲を書くには構成力やオーケストレーションの点で問題がある。あるいは、後年になればなるほど精神疾患の影響で作品も破綻していく。

M:うん、そう言われている。

S:はたして。

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