織田信長の猛攻。武田勝頼は新府を捨てた。岩殿城に逃げるが、裏切りにあう。一方、信繁たちは、父の待つ岩櫃城を目指すが、野盗の群れが行く手を阻んでいた。
-第2回「決断」冒頭より-
今回は、信繁一行の珍道中を主軸に、天目山における勝頼の最期やその勝頼を裏切った小山田信茂の最期を織り交ぜつつ、物語は進行していく。家康のキャラクターも徐々に明るみになってきた。最後は昌幸の「決断」で締めくくられるが、まずは少々物足りなかった「勝頼の最期」をドラマよりもう少しだけ詳しく見ていきたい。
勝頼の最期
天正10年(1582年)3月3日、勝頼(平岳大)は新府城に火をかけ小山田信茂(温水洋一)の郡内・岩殿城を目指す(大善寺到着)。翌4日、信茂は先に岩殿城へ移動し、勝頼一行は笹子峠まで進み信茂の迎えを待つ。ドラマではすぐに信茂の離叛がわかり退却することになるが、現実は更に残酷なもので、数日間逗留されたあげく、矢を放たれたとも鉄砲を打ちかけられたともいわれている。
10日、勝頼一行は何かを覚悟したように、武田家滅亡の地である天目山(165年前にこの地で第13代当主武田信満が自害し武田家は一度滅亡)へと向かう。この時には、600人ほどいた将兵も40数名になっていたという。そして11日、勝頼は木賊山(天目山)の麓・田野村に小さな陣を敷く。
同日、そこに織田の滝川一益(段田安則)隊4000人あまりが押し寄せる。土屋昌恒らの奮戦もあって1000人ほど討ち取り(片手千人斬り)、一時的に侵攻を食い止めたものの、多勢に無勢、追い込まれた勝頼は正室の北条夫人と嫡男の信勝とともついに自刃して果てる。40数名の将兵と10数名の侍女は全員討死したとされる。
今回、勝頼役に印象的な役者さんを使っていたし、このあたりをもう少し丁寧に描いてほしかったというのが率直な思いだが、そうなると、第2回にしてかなり重たいことになるから敢えて簡潔に、ということなのだろうか。特に北条家より14歳で輿入れし、政争に翻弄されながら19歳で天目山に散った北条夫人の最期は、戦国の世のならいとはいえ何とも痛ましい。
小山田信茂の最期
逆に小山田信茂の最期は予想通りのドタバタしたものだった。小山田家も譜代家老衆とはいえ、信茂の祖父の代までは武田家と敵対しており、父の代にいたっても別格の外様という意識は拭えなかったようだから、信茂も武田家とは独立性のあるものとして織田にすんなり受け入れられるものと思っていたのかもしれない。
しかし、ドラマ内で滝川一益にも語らせていたように、その裏切り方があまりにも卑怯に映ったからか、信忠(玉置玲央)の命によって一族もろとも処刑されてしまう。この玉置玲央という役者さん、玉置浩二の息子だそうで、若いながらも風貌、発声ともにとても様になっており、これからの大河ドラマを担う役者の一人になるのではないだろうか。
昌幸の決断
その一方で、信繁一行の岩櫃城への旅は昌幸(草刈正雄)の少々漫画チックな救出劇で無事に終わり、信繁(堺雅人)は兄上(大泉洋)の一喝で躊躇わずに人を切ることを覚えたようだ。12年『平清盛』でもそうだったけど、序盤ならこんな感じの間口を広げる脚本と演出でも十分楽しめる。
所変わって場所は岩櫃城の軍議の間。第1回で「武田は滅びるぞ」と覚っていたのだから、あらゆる手を打っておくのは当然のことで、実際に北条への帰属を検討する書状も残っている。一方で昌幸は、勝頼が自害したことを知ると取り乱し、小山田信茂を討つ構えを見せたともいわれている。どちらが本当の昌幸なのだろうか。
また木曽義昌(石井愃一)や穴山梅雪(榎木孝明)の例を見ても、上杉でもなく北条でもなくより強大な織田・徳川につこうとするのは、戦国の世では自然な流れであろう。そんな感じで第2回「決断」は昌幸の極めて自然な決断で締めくくられた。コントの質は前回よりも下がったように感じるが、昌幸・信幸・信繁父子の会話はやはり楽しい。
筆者
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趣味:サイクリング
得意分野:日本文学
好きな言葉:塵も積もれば山となる
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