巽櫓と坤櫓
JR明石駅の北側すぐ。駅から出て5分ほどで上の広場までたどり着くことができる。築城の際、天守台こそ設置されたものの、天守は建てられなかったようで、代わりに本丸御殿の四隅に三層の立派な櫓が4基設置された。
そのうちのふたつ艮櫓と乾櫓は、明治7年(1874年)の廃城令を経て明治時代に解体されてしまったが、坤櫓と巽櫓はそのままの形で現存する。坤櫓は伏見城の櫓を、巽櫓は船上城の天守か櫓を移築したものと伝えられており、もしこれが天守であれば、現存12天守以外にも現存天守が一応存在したということになる。
本丸跡より明石市街と明石海峡大橋を望む
元和3年(1617年)、信濃・松本藩8万石の藩主であった小笠原忠真が10万石で船上城に入城し明石藩の初代藩主となる。そして翌々年の元和5年、船上城を廃城にして明石城を築城。明石は交通の要衝であったため、築城に際しては徳川将軍家と姫路藩本多家から強力な支援があったとされる。
また、宮本武蔵は小笠原忠真の食客となって明石に住み、明石城築城の際に町割りや造園に携わったといわれ、城内や本松寺に「武蔵の庭園」として名を残す。本松寺は明石城と天文科学館の間に位置し、その周辺の道は歴史と時の流れを感じさせる「時の道」として整備されている。
時の道
利用案内
【時間】
・公園:自由
・櫓:土日祝の10:00~16:00(坤櫓:5月・9月・11月・3月、巽櫓:4月・10月)
【料金】
・公園:無料
・櫓:無料(予約等も不要)
交通アクセス
【電車】
・新幹線「西明石駅」よりJR「明石駅」まで5分
・JR・山陽「明石駅」より徒歩5分
【自動車】
・第二神明道路「大蔵谷IC」より約10分
・第二神明道路「玉津IC」より約15分
筆者
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