和歌山城天守

南海本線の和歌山市駅より南へ10分ほど歩くと三層の天守が見えてくる。JRの和歌山駅からでも徒歩30分ほどで着くが、どちらの道も途中で買い物など寄り道できる場所は少ない。ということもあって、車で行く場合は無料駐車場などは期待できず、その代わり有料駐車場がそこかしこに用意されている。

城郭はさすが紀州徳川家の居城とあって立派で、それでいて天守間近までそのまま立ち入ることができる。城内には名勝の西之丸庭園や御橋廊下、小さな動物園などもあり、これらにも無料で入場可能。近くに住んでいれば散歩が日課になるに違いない。天守内の展示物も大阪城天守閣などより充実している。


天守より和歌山市街と和歌山湾を望む

この和歌山城は何より紀州徳川家の居城として有名だが、天正13年(1585年)の紀州征伐を経て秀吉が弟・羽柴秀長に築城させたものがその始まりとされる。その後は秀長の家臣・桑山重晴とその孫の一晴が3万石で城代を務め、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後は浅野幸長が37万石の大封で入城し初代紀州藩主となる。

しばらくして幸長は特徴的な連立式天守を建てるなどして改築に着手し、この浅野の時代に和歌山城はほぼ現在の形になったとされる。この間、紀の川を少し上った九度山村には、関ヶ原の敗軍の将である真田昌幸・信繁父子が配流の身で住まわっており、幸長はこの真田父子の監視にもあたっていた。


御橋廊下(中)と鳶魚閣(左)

やがて昌幸は逝き、信繁もこの地を離れ大坂で散り、福島正則が改易になったことで浅野も広島の地へ渡ることになる。代わって家康の十男・徳川頼宣が55万石で入封し、ここに御三家・紀州徳川家が誕生する。この後、紀州徳川家は8代将軍吉宗、14代将軍家茂を送り出し、尾張と水戸に先んじて国を主導した。

明治維新後は、廃城令により廃城とはなったものの天守などは残され、昭和10年(1935年)には天守が国宝に指定される。しかし昭和20年(1945年)、尾張徳川家が治めた名古屋城や水戸徳川家の水戸城、そして広島藩浅野家の広島城と時を同じくして、アメリカ軍の空爆によって灰燼と化し、戦後の昭和33年(1958年)に再建され現在にいたる。

利用案内

【時間】
天守・わかやま歴史館:9:00~17:30(年末年始以外無休)

【料金】
天守:大人410円、小人200円
わかやま歴史館:大人100円、小人:無料

交通アクセス

【電車】
南海本線「和歌山市駅」より徒歩約10分
JR「和歌山駅」より徒歩約30分

【自動車】
阪和自動車道「和歌山IC」より約15分

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筆者

S
S
趣味:音楽鑑賞、得意分野:法思想史、好きな言葉:Frei aber Einsam