彦根城天守(国宝)
JR彦根駅西口より徒歩10分ほどで彦根城域に入ることができる。米原駅(新幹線)から彦根駅までは5分ちょうど。車で行く場合は周辺に駐車場が多数設置されている。少し離れた場所にはベイシアやイオンタウンなどの大きなショッピングセンターも。
彦根城といえば、丸みを帯びた独特の花頭窓やマスコットキャラクターのひこにゃんから、典雅で柔和な印象を抱かれがちである。実際に、大老を多く排出した譜代筆頭井伊家の居城であったのだから、京都や大坂への幕府方の政治的な「顔」でもあった。
運良くひこにゃんに遭遇
その一方で、慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣で豊臣家が滅びるまでは、来るべき豊臣方との大戦に備えての最前線基地であり、徳川最強と謳われた「井伊の赤備え」を配置する最重要軍事拠点でもあった。
文禄4年(1594年)、豊臣秀吉の腹心中の腹心であった石田三成が19万4000石で佐和山城に入る。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで三成は一瞬にして散ってしまったが、この合戦がもう少し長引いていれば佐和山城で攻防戦が繰り広げられていたかもしれない。
関ヶ原の戦い後にこの要衝の地に入ったのは、合戦においては常に先陣を切り、政治においては家康の分身となって働いていた井伊直政である。三成と直政、それぞれ秀吉と家康にもっとも信頼されていたといってもいい腹心が佐和山を任されているのは興味深い。
しかし慶長7年(1602年)2月、直政は41歳という若さでこの世を去る。関ヶ原の戦いで受けた鉄砲傷と長年の忠勤による過労が原因といわれている。直政の死後、佐和山城は廃城となり、徳川幕府の天下普請によって彦根山(金亀山)に新たな城が築かれることになる。
二の丸佐和口多聞櫓(その向かいには埋木舎も)
佐和口多聞櫓と太鼓門櫓は佐和山城、天秤櫓は長浜城、西の丸三重櫓は小谷城、天守は大津城、そして石垣は佐和山城、長浜城、安土城、近江八幡城などからの移築といわれており、こうして出来上がった彦根城は、まさに近江の城の伝統を結集した一大建築物となった。
天守は現存12天守のうちの一つであり、国宝五城の一つでもある。1992年には姫路城とともに世界遺産暫定リスト登録。本登録は今のところ姫路城のみとなっているが、彦根は姫路にはない大名庭園(玄宮園)を残しており、そこに浮かぶ天守の奥ゆかしい佇まいは日本随一といってもよい。
玄宮園より天守を望む
堀や城下町の遺構もよく残し、御殿や馬屋なども姫路には見られない武家文化の面影を伺い知ることのできる文化遺産として、今後は城郭から城下町、武家・大名文化の点まで拡大して世界遺産登録を目指していくようである。参考:世界文化遺産登録に向けた取り組み(彦根市)
利用案内
【時間】
彦根城・玄宮園:8:30~17:00(年中無休)
【料金】
彦根城・玄宮園:大人600円、小中学生200円(彦根城博物館とセットで通常大人1100円、小中学生450円のところそれぞれ100円引き)
交通アクセス
【電車】
JR「彦根駅」より徒歩約10分
【自動車】
名神高速道路「彦根IC」より約10分
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