姫路城天守(国宝)
JR姫路駅北口より徒歩で20分ほどかかるが、大手前通りを進めば城を眺めながら北上することができるし、みゆき通りを進めば商店街を見物しながら北上することができる。車で行く場合は近くに駐車場が多数用意されている。
周辺には、西御屋敷跡庭園の好古園、市立の動物園と美術館、県立歴史博物館、日本城郭研究センター、姫路文学館、姫路城を一望することのできる男山八幡宮や千姫天満宮など、観光施設も充実している。
姫路城(世界遺産)入口
元弘3年(1333年)、後醍醐天皇の皇子・護良親王の命によって挙兵した赤松則村が、京へ上る途中で姫山に砦を築いたのが姫路城の始まりとされる。その後、山名、小寺、黒田、羽柴の支配を経て、徐々に中世的な城郭から近世的な城郭へと姿を変えていく。
姫路城は羽柴軍の中国征伐の拠点となり、その時に初めて三層の天守が秀吉によって築かれた。その後は、秀吉の正室・北政所の兄であった木下家定が統治し、慶長5年(1600年)に岐阜城の戦い(関ヶ原の戦いの前哨戦)で功のあった家康の娘婿・池田輝政が52万石で入封する。
予想以上に早く決着がついたため、関ヶ原の戦いでは輝政は武功をほとんど立てることができなかったが、この大封で姫路の地を任されることになった。娘婿ということもあって、外様の中では藤堂高虎(伊勢・津藩22万石)と並んで家康の信用を得ていたのだろう。
姫路城はこの輝政の時代の大改修によりほぼ現在の形になったとされ、池田家も栄華を極めて輝政は「西国将軍」などと称された。しかし輝政が慶長18年(1613年)に急死してからは、嫡男の利隆も早世し、池田家は減封されつつ鳥取、岡山に移封となる。
天守と播州皿屋敷お菊井戸
姫路には代わりに本多忠勝の嫡男・忠政が伊勢・桑名より15万石で入り、以後は松平、榊原、酒井が入れ替わりこの地を治めた。忠政が入城した際には、その嫡男・忠刻に嫁いでいた千姫(豊臣秀頼の元正室)もともに姫路に移っており、その持参金10万石で西の丸が整備されるなど、姫路の地に数々の足跡を残している。
姫路城はその後も、明治6年(1873年)の廃城令や昭和21年(1945年)の姫路空襲を奇跡的に乗り越え、国宝に指定された大小天守四棟と渡櫓四棟以外にも遺構をよく残し、平成5年(1993年)には世界文化遺産に登録されるにいたる。
西の丸より天守を望む
利用案内
【時間】
9:00~16:00(夏季は17:00まで、12月29日・30日は休城)
【料金】
大人1000円、小人300円(好古園とセットで大人1040円、小人360円)
交通アクセス
【電車】
JR「姫路駅」より徒歩約20分、山陽電鉄「山陽姫路駅」より徒歩約15分
【自動車】
山陽自動車道「姫路東IC」より約25分
筆者
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