カール・グスタフ・ユング(1875年 – 1961年)の「タイプ論」を用いて、戦国武将の石田三成(1560年 – 1600年)の性格を分析する。
心理態度(外向ー内向)
近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)の生まれ。若き日より羽柴秀吉に仕え、秀吉が天下を取った後はその懐刀として豊臣政権を切り盛りする。秀吉や豊臣家という行動基準があった点から外向型ともいえそうだが、それらと三成自身の内面はほぼ同化していたと捉えることもできる。他者に対して自分をよく見せようとしたり、気に入られようと媚を売ったりすることもなかった。内向型といってよいだろう。
心理機能(思考ー感情、感覚ー直観)
文禄の役で軍監として朝鮮に派遣された際も、ありのままを報告することで一部の者は容赦のない処分(加藤清正の蟄居や小早川秀秋の減封など)を食らうことになった。その他の局面でも人の感情より法規や論理を優先することが多かった。また、実務的な感覚にはとても優れていたが、かくあるべきという理想がまず頭を支配し、秀吉死後の家康専横体制の強大さやそこになびく人々の心の脆弱さを軽視した。主機能は思考型、または直観型と見たい。
結果
以上から、石田三成の性格は内向的思考(直観)型と判断する。外向的感情(感覚)型と考えられる秀吉とは正反対のタイプとなり、お互い足りない部分を補い合っていたのかもしれない。外向的思考(感覚)型となると典型的な官僚タイプといえそうだが、三成の場合はそれだけでは片付けることができないものがある。もしただの官僚タイプなら、関ヶ原であれだけの人々を結集させることはできなかったろうし、現在にいたるまでこれほど人々を魅了し続けることもなかったはずである。
筆者
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