大阪城天守閣
大阪城公園は大阪城公園駅と森ノ宮駅、どちらの駅でも降りてすぐの場所にある。新大阪駅(新幹線)からそれぞれの駅へは、大阪駅で乗り換えて20分前後。駐車場はそれぞれの駅前にあり1時間350円より。
大阪城は有名な城の中では珍しく、天守閣の真下まで自由に行き来することができ、天守閣の前では人々が腰を下ろして語らっていたり、ストリートライブや大道芸が行われていたりと、開放的な雰囲気に満ちている。
天守閣の周りで賑わう人々
天正11年(1583年)、羽柴秀吉は黒田孝高(官兵衛)の縄張りにより、石山本願寺の跡地に大坂城の築城を開始させる。本能寺の変からわずか1年と数ヶ月後、豊臣ではなくまだ羽柴の性を名乗っていた頃のことである。
秀吉はこれより1年半かけて本丸を完成し、世を去るまでの15年間、外敵から豊臣の家と秀頼を守らんとして手を加え続け、これを天下一の巨城に仕上げた。そして慶長3年(1598年)3月、太閤秀吉薨去。享年62。
翌々年の関が原の戦いを経て、慶長19年(1614年)11月、徳川家康の思惑により大坂冬の陣が開戦される。真田信繁(幸村)は大坂城の南側に「真田丸」を築き、真田丸攻防戦では勝利を収めるも、やがて和議に持ち込まれる。
翌20年5月、大坂城は三の丸に続いて二の丸の堀まで埋められ、裸同然となった状態で大坂夏の陣を迎える。真田らの奮戦も虚しく同月8日、秀吉の遺児・秀頼とともに炎に包まれ灰燼と化す。秀吉の死から17年後のことであった。
桜門枡形の巨石(蛸石)
元和6年(1620年)、二代将軍秀忠により再築工事が取り行われ、寛永3年(1626年)、三代将軍家光の御代に完成する。巨大な堀と石垣、城壁に囲まれたその姿はまさに近世城郭建築の最高峰といえるものであった。
この時の天守は寛文5年(1665年)に落雷で消失し、昭和6年(1931年)、市民の寄付により秀吉時代の天守を模して再建される。大阪城は太平洋戦争でも軍事拠点となり甚大な被害を受けたが、今回の大戦では奇跡的に天守は壊滅を免れ、現在の大阪城天守閣として姿を残す。
大阪歴史博物館より大阪城を望む(GFDL)
利用案内
【時間】
・公園:自由
・天守閣:9:00~17:00(年末年始は休館)
【料金】
・公園:無料
・天守閣:600円(大阪歴史博物館とセットで通常1200円のところ900円)
交通アクセス
JR「大阪城公園」、JR・地下鉄「森ノ宮駅」よりすぐ(天守閣までは徒歩約10分)
筆者
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