カール・グスタフ・ユング(1875年 – 1961年)の「タイプ論」を用いて、徳川家康(1543年 – 1616年)の性格を分析する。

心理態度(外向ー内向)

三河国額田郡岡崎(現在の愛知県岡崎市)の岡崎城に生まれる。幼少期より他国へ人質として送られ、今川の下で元服を果たしてからも、桶狭間で義元が信長に討たれ独立するまでは半人質生活が続いた。この人質生活が長かったためか、寡黙で本心を容易には見せなかった。また幼少の頃より非常な愛読家で、日々の生活や合戦時に書物の内容を応用させることも少なくなかったという。秀吉死後は天下への野心から外へ外へと働きかけていくことになるわけだが、本質的には内向型といえるだろう。

心理機能(思考ー感情、感覚ー直観)

家康はリアリストとして知られる。信長との不平等な同盟時代も、本来なら格下の秀吉への臣従時代も、とにかく現実を受け入れ耐えた。天下を取ることができたのも、書物の世界にただ耽溺することなく、しっかりと現実を見据えていたからだろう。また、自分の心の内をなかなか人に見せないだけでなく、人の言うこともまた簡単には信じない疑り深い性格だったようだ。感情に流されることは滅多になく、秀吉とは違って、一族より苦楽を共にしてきた譜代家臣を重用した。主機能は感覚型、または思考型と見たい。

結果

以上から、徳川家康の性格は内向的感覚(思考)型と判断する。自分から時代を切り拓いていくタイプではないが、その時々の状況に応じて最適な選択をして、下克上の戦国時代を生き残った。ただ生き残るだけでなく、着実に領土を増やし、自身もまた人間的に大きくなった。そして天下を引き寄せるにいたる。幼少期より『吾妻鑑』を愛読していたといわれ、どうしてもその生き様に源頼朝の影響を感じざるをえない。

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筆者

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