S:第19話「恋路」と第20回「前兆」は重要な回になった。

M:茶々(竹内結子)の「見つからなければ良いことですぅ」という台詞。どこかで聞いたことある台詞だと思ったら……。

S:第1回「船出」の源次郎(堺雅人)の第一声。あの時は源次郎が三十郎(迫田孝也)を振り回していたけど、今は自分が茶々に振り回されている。

M:振り回されまくってる(笑)。茶々は山里丸(山里曲輪)の蔵で自害したといわれているから、もしかしたらあの蔵で、秀頼と信繁の嫡男・幸昌(大助)とともにその死を迎えることになるのかも。

S:武具の蔵ではなくて糒の蔵だったらしいけど。そして終盤の茶々と源次郎の台詞は最終回に繋がってくる。

M:「離れ離れになっても、あなたはいつかまた戻ってくる。そして私たちは、同じ日に死ぬの」。とてもベタな台詞だけど、茶々の演技も魅惑的で惹きつけられたし、2人の最期を想うとゾクッとした人も多かったはず。

S:そして源次郎は「遠い先であることを祈っております」と。

M:茶々から逃げ回っていた源次郎青年は27年後、家康(内野聖陽)によって追い詰められていた淀殿のもとに駆けつけ、一日違いで死ぬことになる……その前の「格好悪い」という言葉が意外と効いたのかも。

S:ある歴史評論家の方は、今回のこの脚本を「ほとんど論評に値しない」「トンデモ」「痴話」「淀殿が草葉の陰で泣いている」とめった斬りにしている。

第19回「恋路」をみる(歴史REALWEB)

M:淀殿が草葉の陰で泣かなかった大河というと……今回以上に魅力的な淀殿っていたっけな。

S:さあ。(3)でも触れたように、三成以上に悪く描かれてきたのが淀殿だから。とにかく、『葵 徳川三代』の淀殿(小川真由美)と大野治長(保阪尚希)の「密か事」はあらゆる意味において見るに堪えなかった。関ヶ原や大坂の陣にもその「密か事」の仕儀が影響したように描かれていたし。それでもこの作品の歴史ドラマとしての価値は変わらない。

M:『真田丸』の信繁と茶々の淡い恋路は、あの「密か事」と比べれば十分見るに耐えるものだったし、リアリティーというか筋もキチンと通っているように見えたけど。

S:『真田太平記』(1985年)でも、幸村(草刈正雄)と忍びのお江(遥くらら)との架空の痴話が物語の大きな軸になっていた。『黄金の日日』(1978年)でも、三成(近藤正臣)とガラシャ(島田陽子)が密かに恋をしていたり。リアリティーとは何か。

M:秀吉(小日向文世)の源次郎をダシにした口説きも面白かったけどなぁ。あれはある意味、リアリティーに満ち溢れていた。この辺は好みで済ますことができるものなのかしら。

S:たしかに「信繁青春編」ではリアリティーのない小細工が目立った。でも「大坂編」に入ってからは、その小細工が自然な形で各々の登場人物と演出の間に落とし込まれている。

M:三谷幸喜十八番(?)の「群像劇」になったのも大きいと思う。「信繁青春編」ではキーマンの数が少なかったからスベることが多かったのかも。

S:キーマンの数が少なかったというよりは、特定のキャラの個性をギラギラと光らせすぎた。そのうえ小細工を多用するものだから、余計に悪乗りした形になってしまい、そこに拒否反応を示した人がいたこともある程度は想像できる。

M:「信繁青春編」では、主人公の信繁と信幸(大泉洋)が意外と個性を放たなかったから、昌幸(草刈正雄)も出浦昌相(寺島進)も信州の中でずっと浮いた感じがしてたけど、第18回「上洛」ではじめて昌幸の本当の滋味がわかったような気がする。

S:秀吉や三成(山本耕史)のような強烈な個性と邂逅することによって、昌幸の芸にもより一層磨きがかかったのか。

M:「信繁青春編」で誰よりも浮いていたきり(長澤まさみ)が、「大坂編」で一服の清涼剤になりつつあるのがまた面白い(笑)。

S:毒が転じて毒消しになってしまった。大坂にはそれだけ毒気が蔓延しているということなのだろう。

M:今回もヒロインの座を完全に茶々に奪われた形になったけど、きりは信繁と『真田丸』にとって常に欠かせない存在になってきそう。

S:度々話題にしてきた三成(山本耕史)も存在感を見せ始めた。第19回「恋路」最後の「茶々様を側室に迎えるということは、殿下が信長公を飲み込み、超えるということ。この先殿下は、どこに向かわれるのか」という台詞。これは次回以降の自身の苦悶と宿命を予感させるもの。その予感通り、第20回「前兆」で秀吉は信長(吉田剛太郎)のような外的な暴力性を帯びてくる。

M:今作の三成は秀吉に信長のような末路を辿らせたくないんだろな……あれだけ緊張感のある三成と秀吉のやり取りは久しぶりかも。『軍師官兵衛』(2014年)に足りなかったのはこれなのかな。

S:寧々(鈴木京香)の「殿下は昔と少しも変わっとらん。昔から怖い人でした。明るく振る舞ってはいるけど、実はそりゃ冷たいお人。信長公よりずっと怖いお人。そうでなきゃ、天下など取れません」という言葉も印象的。寧々と秀吉の関係性にもある種の緊張を孕んでいる。

M:秀吉といえば、ただ人誑しなだけで、他の偉人と比べて、良くも悪くもどこにでもいる、こじんまりとした描き方をされることも多かった。こんな人が本当に天下など取れるの?というような。で、晩年に入ってなんか急に狂っちゃう。

S:良い人に描けば良いというものでもない。悪は「人類が進化していくのに必要不可欠な要素」(アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』)でもある。緊張感の切り方も「信繁青春編」と違ってこなれてきた印象。

M:たしかに、第11回「祝言」のきりや第13回「決戦」の梅(黒木華)はぶった斬り状態だったから。

S:それぞれの個性が出ていて面白くはあったけど。今回の「この子どもの父親は……源次郎です」も茶々の個性が凄く出ていた。

M:ただの小悪魔か、ホンモノの悪魔か……。

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