カール・グスタフ・ユング(1875年 – 1961年)の「タイプ論」を用いて、戦国武将の豊臣秀吉(1537年 – 1598年)の性格を分析する。

心理態度(外向ー内向)

尾張国愛知郡中村郷(現在の愛知県名古屋市中村区)の生まれ。下層階級の出身ながら織田信長に取り上げられ、立身出世の道をひた走る。若い時から非常な話し好きとして知られ、外へ外へと働きかけ、自らをPRしていくことでのし上がった。特に信長死後は、外形的に派手なものを好み、自身の力を誇示する形で諸侯を抑えていこうとする。二度に渡る朝鮮出兵にしても、新しいもの好きの信長からの影響が大きく、異国への興味というものが何よりも頭を支配していたのかもしれない。強い外向型といえるだろう。

心理機能(思考ー感情、感覚ー直観)

母を大切にし近親者を重用した。また秀吉の「人たらし」は有名で、敵を調略したり降伏させたりする際も、思考より感情に訴えかける方法を取り、まずは度量の大きさを見せることで相手の心を揺さぶろうとした。そして実際に相手が下ると、信長や家康などと比べて温情的な処置で済ませている。戦に直面せざるを得なくなった時でも、無鉄砲な力攻めなどは敬遠し、情報戦や兵糧攻めなど段階を踏んで相手の力を徐々に割いていった。非常に現実的な感覚に優れた戦国武将といえる。主機能は感情型、または感覚型と見たい。

結果

以上から、豊臣秀吉の性格は外向的感情(感覚)型と判断する。懐刀の石田三成は正反対の内向的思考(直観)型となり、お互い足りないところを補い合っていたのかもしれない。2016年に再びブームとなった今太閤・田中角栄も秀吉と同じタイプと考えられる。地に足の着いた現実的な感覚がなければ立身出世は叶わなかっただろうし、気配りのできる細やかな感情がなければ途中で追い落とされていたはずである。2人とも良い死に方はできなかったが、日本人からもっとも共感の得やすいタイプといえるだろう。

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筆者

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